WEBでちょい旅 一厘録 ICHIRINROKU

五島列島の魚(よ)(長崎県)2013.11.12 /culture

9月、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界文化遺産への推薦を逃したというニュースが、肩を落とす関係者の姿とともに報じられました。ため息がもれたのは地元ばかりではありません。新橋に五島列島出身者が夜ごと訪れるバルがあります。祝杯となるはずだったグラスを、この日どんな思いで傾けたことでしょう。しかしそんなお酒でも、郷里の海で獲れた「よ」が肴ならいつしか笑顔がほころんでしまうはず。実はこの店には、五島列島の鮮魚が直送されているのです。

サラリーマンの聖地で食べた魚(よ)

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東京からどうやって行くのか。どんな名の島があるのか。ある仕事をするまで、そんなことすらも知らなかった五島列島。「えーと。九州のそっちのほう?」ぽわんと頭に浮かんだのは、あまりにもなんとなく過ぎるイメージ(というかイメージになってない)。「そっちのほうってどっちのほうだよ?」と自爆する始末でした。
しかし、まったく図々しい話ではありますが、そんな私にとって今や最もマストゴーな場所が五島列島です。「よ」を食べてからというもの、その思いは募るばかりです。

新鮮な魚のことを五島では「よ」と呼ぶそうです。素敵な響きの言葉です。「まさか五島列島に出張したとかそんなおいしい話?」と思った方はどうぞご安心ください。マストゴーと言ったじゃないですか。世の中そんなに甘くない。行ってません、行ってませんよ私(泣)。「よ」を頂いたのはサラリーマンの聖地。そう、新橋です。東京にいながらにして、「よ」を食べることができてしまったのです。仕事を通じてその店を知るに至ったというわけなのです。

東京立ち飲みバルが利用しているは、「五島列島支援プロジェクト」が奈留町漁業協同組合と五島漁業協同組合と連携して2010年に運用をスタートさせた流通システム。店のFacebookページを見ると、入荷した鮮魚の写真がタイムラインを賑わしています。「五島列島福江港から鮮魚が届きました。真鯛・イサキ・アカハタ・キジハタ・チカメキントキ。皆様のご来店をお待ち申し上げます」見たこともない姿や、聞いたこともない名前の魚が、今日も私を新橋に誘います。

豊かな海が支えた隠れキリシタンの暮らし

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東京にいれば日本中の食材が手に、いや口に入る。そう思っている人にとっては、「ふーん」ぐらいのことかもしれません。しかし長崎港から西に100kmという地理条件です。「関西圏でも厳しいのに、首都圏なんて絶対無理」と思われていたそうです。しかもその「遠さ」とは、距離的な隔たりだけではないように思えるのです。それはつまり、隠れキリシタンが息を潜めて信仰を守ってきた土地だということに思いを巡らせたときにです。

キリスト教は日本では約300年にわたって弾圧されていた宗教です。信徒への迫害はその禁教時代末期、ことさら苛烈を極めたといいます。「五島崩れ」と呼ばれる明治元年の大規模な弾圧では、数百人の信徒が迫害を受け、42名が殉教したという記録が残っています。不平等条約改正と引き替えに明治政府が禁教を解いたのはその6年後の1873年です。

隠れキリシタンはそれまで平野部を避け、島のなかでも人目につきづらい山間部や入江といった僻地で、小さな集落単位で信仰を受け継いできたそうです。人ができるだけ行きづらい場所を選んで、信仰を拠りどころにひっそりと営んできた暮らし。その栄養面を支えていたのはやはり海産物だったはずです。お腹が空くと人はどうしても弱くなります。だから、打たれても打たれても信仰を守った精神の強靭さは、海からもたらされる豊かな食と無関係ではなかったと思うのです。

禁教が解かれて以降の明治・大正期に建てられた教会が51、五島列島には現存しています。今も日々の信仰の拠点になっているそうです。無人島を含む大小140余りの島に対してこの教会の数。最近は世界遺産の候補として脚光を集めていますが、多くの教会がたぶんとても行きづらい場所にあるのだと思います。でも新橋で想像した「遠さ」を現地ではどう感じるのか。いつか体験してみたい。そう思います。

ライター:菊池桂
写真提供:五島列島支援プロジェクト

information

五島列島支援プロジェクト

WEBサイト
http://gotoproject.jp/

東京立ち飲みバル

WEBサイト
http://tokyo-bar.jp/
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